簡単に音楽を聴くことができないアーティストの価値について考えようと思います。今となっては、Apple MusicやSpotifyで音楽を聴くことは当たり前すぎるわけですけれども、かつては、例えば僕なんかは、TSUTAYAでCDを借りてきて、それをiTunesに落とし込んで、そこからまた自分のDS、NintendoのDSですね、に落としたりして音楽を楽しんでいました。
それが、音楽のストリーミングサービスが普通になって、本当にワンクリックで音楽を楽しめるような環境ができた中で、あえて例えば日本で言うとSMAPであったり、安室奈美恵の音楽というのは基本的にはこういったデバイスで聴くことはできないと。僕はこれは、ある意味ではいろんな権利の問題とかはあるんでしょうけれども、ある種彼らのアイデンティティみたいなものもありますし、今更、CDを買って音楽を聴いている人なんて趣味でもない限りいないわけですよ。
で、音楽を容易に聴くことができない環境が作られているということが、ある意味では希少性が担保されているんですね。つまり、今ってもう流行りの音楽はTikTokで摂取できるし、自分のiPhoneでもすぐに聴けるので、すぐ飽きるんですよね。YOASOBIのアイドルを何回聴いたとしてもたぶんいつかは飽きるというようなところですが、こうしたある意味いろんなルールメイクをして歌の供給を絞っている歌手というのはなかなか飽きられないだろうなというふうに思っています。
これは希少性という観点から書きましたが、例えば漫画なんか井上雄彦先生は電子書籍でスラムダンクを出していないわけですけれども、これもきっと彼の独特のこだわりがあるはずで、そういうところにファンは、ある意味に惹かれるし、いいなと思うわけですね。
つまり、今でこそワンクリックでコンテンツが楽しめる時代にあえて不便を選択しているということは、時に熱烈なファンを楽しませるし、そのアーティスト自体も価値や彼ら自身、彼女たちが大切にしているものをある意味表しているような感じがしています。