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「失敗の本質」と「存在と時間」の共通点

野中郁次郎の「失敗の本質」とハイデガーの「存在と時間」において、思想の共通点をちょっと考えたいと思っていて、山口周さんという僕が結構好きな独立研究家の「読書を仕事につなげる技術」という2015年に販売された本で、今絶版となっているものがあるんですけれども、その中にマンダラ本という、とりあえずこの古典70冊だけを読もうものがあって、その中に確か「失敗の本質」があったんですね。

失敗の本質は、当然僕も読んでいるんですけれども、改めて思い返す中で、最近理解をしたハイデガーの「存在と時間」を思い出しました。野中郁次郎は、「失敗の本質」の中で、結局組織が誤りを犯すのは空気に飲まれるからである、みたいなことを言っていて、ハイデガーは、「存在と時間」の中で、我々人間は「世人」と呼ばれる、簡単に言うと他者と同じように振る舞おうとする、みたいな空気を読むということもできると思うんですけれども、個人的な主体性がなくなって大衆となるみたいな画一的になる状態を、ハイデガーは「世人」という言葉を使って説明しています。

二人の思想の中には、野中郁次郎は「空気」という言葉を使っていたり、ハイデガーは「世人」という言葉を使っているんですけれども、抽象的にすると、結局社会的圧力というのは結構強くて、個人の主体性とか考えとかをある意味では脅かしてしまう存在なのかなと思っていた感じでございます。そういう中でも、ハイデガーは結局、世人という概念から完全に切り離されること、つまり他者の影響を受けることなく自分が完全に独立した思想や思考なりを持つことというのは無理である、みたいなことを言っていた気もしていて、

言葉こそ違えど、二人は似たようなことを思考体系として持っていたと思いますし、山口周先生の本にも書いていたんですけれども、それぞれをぶつ切りで単品で知識を持っていたとしても、それはただの物知りに過ぎなくて、結局いろんな考え方をどんどん抽象化していって、仮説を立てていく、みたいなところがならないと、ただの物知りの博士になってしまうということも同時に思っております。

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