BerealはBerealにならなかったことについて書こうと思います。 グッドライフを読んでいてですね、SNSの記述が本当に少しだけあって、 何を言っていたかというと、 すごく端的に言ってしまうと、SNSは人間にポジティブとネガティブな両方の側面があったら、 ポジティブな面しか出ていないと。
なぜならあなたはお酒を飲みすぎて二日酔いの様子や、夫婦喧嘩の様子をSNSで見たことがないだろう、みたいなことを言っていて、 間違いないなと思いつつ、一方でこのありのままみたいなことをテーマにしていたのがBerealだったかなと思っていますと、 Berealはですね、日本というか海外のZ世代で流行っていたアプリなんですけれども、 突然通知が来て、その時の様子をそのまま自撮りをしてSNSに上げるみたいな感じのアプリなんですけれども、 結局それも意識的にそのタイミングを選んでいるわけですね。
つまり通知が来てから数時間後までも写真を撮ることができるわけで、 結局そのタイミングというのは、ある程度は切り取られた日常の中なのは間違いないんですけれども、 自分のタイミングを選んでいると。 つまりBerealでも二日酔いの様子とか夫婦喧嘩の様子というのはきっと出てこないと思いますと。 これなんでかなと思った時にやっぱり、 まあ、なぜ僕らは二日酔いの様子や、そういう情けない様子を出すことができないかということなんですけれども、 一つは単純にパブリックな場に出すものとして、コンテンツとしてあまりふさわしくないということですよね。 なんか、相応しいか、相応しくないかというより、多分相応しくはないものだと思っていますと。
そして、やっぱり誰しも人間は承認欲求を持っていて、クールでありたいみたいなその欲求というのは絶対にあるはずなので、 そんな欲求を上回る勢いでですね、そんな二日酔いの様子を上げる必要はないという判断をしてしまうと。 つまりですね、我々にとってBerealは早すぎたのかということなんですけれども、 まあ、だいぶ早かったのかなというふうに思っていまして、
結局Bereal的な使い方をしないBerealというのは、なかなかその意図に合っていないものだなというふうに思っております。