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ChatGPTの利用で失う可能性のある力

ChatGPTの利用で失う可能性のある力について考えて書こうと思います。ChatGPTはあまりにも便利で、僕は使わない日は1日もないと断言ができるのですが、最近使っていて思うことは、ChatGPTをすごい使っていると、それがなぜ答えなのかという背景、理由を求める力というのが、もしかしたら弱まっているかなというふうに思っています。

これは例えば、数学だったりの参考書の答えをそのまま映しているような感じで、正解ではあるが、それがなぜかというのは説明できないみたいな感じなんですね。これまでは何か欲しい情報があったり、答えを求めている状況というのは、Google検索をして探しに行くことがそこそこあって、その中では、例えばダイレクトに答えが見つかる時もあれば、ダイレクトに答えが見つからない時もあって、後者の場合は、色んな記事を読んだりしたり、若干遠回りもしているので、うっすらと潜在的に、これはXだからYであるというような因果関係が分かっているような気がしますが、ChatGPTは少し不器用なプロンプトでさえも投げることで、時に完璧な回答を一発で作り出してくれるので、これがなぜ正解なのかということを証明することができず、逆の視点で言えば、これがなぜ間違っていると言えないのかということにもなると思います。

もちろんそこから会話を続けて、なぜこれがそうなのかというような因果関係を問い続けることは、Googleにもできなくて、ChatGPTにしかできないことなんですけれども、XだからYであるというような、極めて単純な裏の因果関係というのを探求する力、整理する力みたいなところが、意識をしないままでChatGPTを使っていると、ここの考え抜く力みたいなのが、もしかしたらちょっと弱まっているのかなというふうに思っておりました。

きっとこれからGPT-4.5とかGPT-5というふうになっていくと、もっと素晴らしいものが出てきて、こうなるとつまらない例えですが、一問一答しているような会話になってしまう可能性もあって、僕らがどれだけいかに創造的に思考を働かせて、知的好奇心を持ってChatGPTと接するかというのが大事かなというふうに思っております。

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