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日報を書くことの意味を考える

日報を書いている事例

日報を書くことの意味を考えるということで 日報っていうのがあると思っていて これは今日一日何をやったか、明日何をやるか、そして一言添えるみたいな感じなんですけれども、国内だとですね、どうやらメルカリとかLayerXのようなイケイケの企業が 経営陣も含めてみんなでやっているというところで 日報について考えたいなというふうに思っていますと。

日報の敵

まずですね、日報の敵は何かというと 僕は1個だと思っていて これはつまり、日報というのが一日の終わりに基本的に書くものなので 結構疲れているんですね 疲れているし、時間がないしみたいな状況だと なかなかですね、日報を書くことができないというようなことになるのかなというふうに思っていて 日報を書くことの阻害要因というのは単純に忙しさみたいなことになるのかなというふうに思っています。

メルカリに日報を書く習慣がある理由を考察する

ただ、メルカリとかLayerXがこのカルチャーを続けているということは そのデメリットを上回るメリットがあるはずだと僕は思っていて それは何かなと考えるんですけれども そもそも日報というのは 自分に対しての目的と 同僚とか他部門の人とか 他者に向けた時の目的というパターンがあるかなというふうに思っていますと

自分に対してはですね 例えば、今日何をやったかなというのを最後に洗い出すという役割もありますし そこに明日やることを書いているのであれば 明日どういう優先順位でやっていこうかなみたいな、そしてこのタスクは結構大きいからちょっと小さくしようかとか 今自分が持っているタスクとかボールというのを 僕は日報を書くことによって、割と可視化できるのかなというふうに思っています。

あと、ここで僕はあえて自分の主張を通すとするのであれば 日報を書くとですね、項目ごとにいろんなことが出てくると 今日はこういう仕事をした、今日はこういうミーティングをしたというような 項目が洗いざらい出てくるわけですけれども 書いている中でですね、僕は結構振り返るわけですね つまりこのミーティングでこういうスタンスが取れたなとか こういう立ち回りができたなとか この仕事ではこういうバリューを出せたなとか これもっと早く終わらせることができたなとか そういうことを考えて 軽めの自分の内省みたいな感じの役割もあるのかなというふうに思っていますと

他部門についてはですね 自分は今こういうことをやっていますよというところを知らせる形で 自分たちの仕事において割と透明性みたいなところを 担保できるのかなというふうに思っていますと

一言が大事な理由

僕は結構その一言のところが意外と大事だと思っていて 結局ここで今日の振り返りとかが ある種言語化するわけですね 思いとかっていうのは結局言語化することによって 自分が何を考えているのか 何を考えていたのかということが明らかになるわけですけれども この一言で結構好きなことを書きますと

仕事に関することでもいいですし 自分の趣味とか何でもいいんですけれども 書くことで 例えば趣味とか休日のことを書いたらですね その人のある程度パーソナリティが知れるわけですね 皆さん仕事をしているわけですけれども 一人一人人間であるので 当然仕事以外の顔もあると、家族の顔とか友達いるときの顔とかあるわけですけれども その辺も含めて多面的に同僚を知っているというのは いいことだと思っています

総括

いろいろ書いたんですけれども まとめるとですね 日報を書くというところは 最大の敵はやっぱり時間との戦いだと思っていて 結局あとはですね 日報を書く上で大事なことは 義務感にならないということをですね 作業感にならないというのが とても大事なことだと思っていて ある意味では楽なんですけれども 没頭的な感じで終わらせてしまうと それは本当に報告書みたいな感じになってしまうので 日報というのは割と作り込むと。

特に最後の一言ですね みんなに一言どういうメッセージを書くのかというところを考え抜くわけですので 意外と時間がかかることなのかな というふうに思っていますが きっと僕はメリットが多いと思っているので ちょっとしばらく続けてみようかな というふうに思っております!

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