「他者と働く」を読んでいます、そして適応課題と技術的問題について書こうと思います。 僕たちが直面することの多い課題、あるいは困ることが多い課題というのは、 まさに適応課題だなというふうに思っていて、 これは何かというと、既存の物事の考え方では解くことができない問題で、 極めて複雑な問題だと。 人間関係とか、相手の利害とか、 いろんなことが重なってですね、なかなか特に解けないような問題というのを、 適応課題というふうにこの人は言っているんですけれども、
まあ例えば一つあるのが、マーケティングだとですね、 マーケティングと法務の戦いかなというふうに思っていますと、 戦いという言葉をあえて誇張した意味としてここでは使っていますと、本来はですね、お互いがお互いのことを理解してですね、 最適な方向に持っていくのがいいんですけれども、 あえて分かりやすいように戦いという言葉を使っていて、
要はマーケティング的には、これはOKだろうという訴求でも、 法務的にはNGで、みたいなそういうことって無限にきっとあると思っていて、 これは結局、著者の言葉を使うとナラティブというふうに言いますが、 大事にしている価値観とか物事の考え方とか、評価される基準とかというのが、 単純にマーケティングとその他の部署で違うよねというところがあるかなというふうに思っていますと。
結局一言で言うと、他社あるいは他の部門との間には溝があって、 それをですね、観察してどこに新しい関係性を築くかを探って、 新しい関係性の上で話をするみたいなことを言っていた気がするんですけれども、自分のナラティブを外す、つまり自分たちが見えていない、ある意味独りよがりの観点を認識するために、自分の解釈の枠組みを一回外してみるというのは非常に大事だなと思っていて、
著者の言っていることは結局、自分と他の人みたいな関係なんですけれども、人に限らず、これは自分が世の中に対して持っている見方とかも、 ある意味では自分の持っているナラティブというのを、 彼の言葉をもう一回使うと枠の外に置いておく、つまり隣に置いておくということで、 また違った見方ができるのかなというふうに思っていて、 きっと考え方が多様で、かつスタンスがあって、 しかも時に多様な価値観を好奇心も含めて受け入れることができる人というのは、 多分ナラティブを外すことというのがある意味上手くて、 自分をある意味俯瞰して、パーセプションを複数持っているみたいな人なのかなと思っています。