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「無知」という現代社会における重罪について

「無知」という重罪について考えようと思います。前提として、知らないことっていっぱいあるんですね。僕たちはAIではないので、すべてのことに精通することはできないけれども、身の回りのことぐらいについては正しい理解度、そこそこ深い理解度を持ってライフスタイルを構築した方がいいと思っていて、すぐにググったり、ChatGPTと会話できるこの時代において、知らないというのは現代のある種の罪だなというふうに思っています。

何があったかというと、僕は先週末、千葉の地元に渋谷から帰っていたんですけれども、電車で帰ると1時間45分ぐらい電車に乗っているだけでかかるんですね。乗り換えが相性が悪いと1時間50分とかかかるんですけど、うちの実家から10分ぐらい行ったところにバスターミナルがあって、そこで渋谷のマークシティ行き直通があることを僕は今まで知らなかったんですね。帰りは袖ケ浦のバスターミナルから渋谷のマークシティまでバスで帰ったんですが、何と時間は45分かからずという、本当疑うような速さだったんですね。週末の夜だったのでアクアラインは空いていたというのはあると思いつつ、渋谷まで45分で来れるというのはそんなことあったんだっけというぐらい、僕の中では衝撃的なことでした。

袖ケ浦って2時間かけて帰るところなので遠いなと思っていたんですが、45分で帰ってこれたというところで、何が言いたいかというと、例えば大学の時とかに知っていたら結構世界が違ったと思うんですね。本当に電車2時間片道乗るって結構苦痛なんですよ、過去はそれが当たり前だと思っていましたが、今は絶対そんなことできないですし、という感じなんですけれども、それが実は長浦から渋谷まで45分で帰れるってことが分かっていたらどんなに良かったんだろうという風に、バスの中ですごい頭を悩ませました。

それはそれでということで、いろんなことにある程度無知ではない状態で作るというのは、マインドセットとしてどういうことが必要なのかなと考えると、たぶん現状とか今の常識を疑いまくることなんですよね。結局疑うことでしか新しい可能性とか新しい選択肢は出てこないと思っているので、疑うってことが大事で、疑うという行為をしなくても、例えば今回のように誰かが教えてくれるとかそういうことがあると、ラッキーという文脈で新しい選択肢を手にすることができるんですけれども、

これ、やっぱり何でもすぐにネットで出てくる時代において、知らないっていうのは極めて大きい罪だなという風に、このバスのエピソードを自分の身をもって体感して思った話でございました。

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