「モデル」の定義、そしてなぜ「モデル:は僕は痩せていないといけないと思うのかについて書こうと思います。 近年ですね、僕が今日このブログを書こうと思ったきっかけはですね、 SNSであるアカウントをたまたま見つけて、 私が〇〇のモデルですみたいな 自己紹介があったんですけれども なんでモデルでは痩せている必要があるのか、あるいは 人並み以上に鍛え抜かれている必要があるのかっていうことなんですけれども、
多分ですね、多様性を含むみたいな価値観の下で 結構最近はモデルの定義も広がってきていて、 あなたがモデルなの?みたいな人もモデルになっていることがありますと これはSNSを開けばですね、〇〇モデルみたいな人がたくさんいるわけで困っているわけですけれども 僕は日本にとってはですね、モデルっていうのは本当に富永愛しかいないと思っているわけですが、
なぜ痩せている必要があるのか、あるいは 鍛えている必要があるのかということなんですけれども モデルっていうのは僕にとっては「憧れの存在」みたいな感じであって 数は少なくていいと思うんですね。
数が少ないモデルっていうのは結局選ばれるわけなんですけれども その過程で多分相当の努力をしていると 美しさも含め、体の見た目も含め、いろんな努力をしてモデルになっているわけですけれども だからこそ僕たちはそういう人たちが、時にファッションショーなどで服をまとった時にとても美しいと感じることが多いわけで、
つまり何が言いたいかというと、モデルが多い世界観っていうのは モデルじゃない人にとってはですね、何を目指そうかみたいな価値観も結構曖昧になってきますし 何よりですね、僕自身の認識としてはモデルというのは選ばれた人のみができる、ある種特権だと思っていて、なので、近年ですね、何にかとつけてモデルとつければいいみたいな人たちが増えていることに、ちょっと違和感を感じているというような話でございました。
サムネイル引用: https://www.sankei.com/article/20231005-NC7XTHFVDJN4REHHMKXTWWIOAA/