我々は「政治と金」問題の何に怒っているのかについて言語化をしようと思います。 今ですね、安倍派の松野官房長官や西村経済産業大臣などがですね、 いわゆる裏金問題というところで、パーティー券のキックバックを自分の懐に入れていたのではないかというところで問題になっています。
これはわからないですけれども、今の段階では疑惑というところで事実ではない可能性もあるかもしれないので、 この事件、この疑惑、この報道に対する言及というのはここでは避けましてですね、 何を考えたかというと、我々は「政治と金」ということについて、かつて昔からいろんな問題を見てきました。 きっと本当に過去、数百年前とか数千年前とか世界を見渡してもですね、「政治と金」問題というのは常につきまとっているわけですけれども、 それも含めてですね、僕たちは何に怒っているのかなということを考えたくてですね、 それを考える上で、今回は今の「政治と金」問題にできればフォーカスしようかなというふうに思っているんですけれども、
何点かあると思っていて、一個目はですね、 政治家自身がですね、疑惑に対してまっすぐ答えず、ある種知らばっくれるような態度をしてしまうというところであったりとか、 例えば今回の松野官房長官はですね、官房長官は国のNo.2なわけですけれども、 ある種一人人間としてですね、説明責任を果たしていないと、政治家としての責任を果たしていないというところであったりとか、
あとはですね、これはこういうバイアスというのをなるべく避ける方がいいんですけれども、 また政治家がやったよというふうに、ある種くくってしまって絶望するということで、 政治家の中にはですね、クリーンな人も多くいると思うんですけれども、 一部の人がそういう悪いことをすることによって「政治家がやった」というふうに考えられるので、 また政治家がやったか、というふうに考えてしまうと。
で、僕はこれが次きっと大きいはずなんですけれども、 きっとですね、松野官房長官も含め、岸田政権は僕は人事をガラッと変えるはずだと思うんですね。 こんなに金が問題視された人たちがですね、岸田政権の屋台骨を任せることができるかというとですね、 信頼は絶望的にないわけでですね、後ほどきっと事実が明るみになってくると思いますが、 岸田政権は人事をですね、12月13日以降で変えると思うんですけれども、 なんとなくの感覚として、次やる人もなんかきっとヘマするんだろうなっていうような、 ある種の期待感のなさみたいなのは残念ながらやっぱりあるのかなというふうに思っています。
期間はさておきですね、政治と金問題というのは常にあるので、 僕たちはですね、うすうす次の人もですね、きっといつかそういうことをするんだろうなというふうに、 なんとなくとても残念なんですけれども、思ってしまっているわけですね。 なので、人事がですね、一新するからといって、ハッピーかというと必ずしもそういうわけではなくて、 新しい人に完全にクリーンな気持ちで期待をできるかというと、そういうわけではないっていう、 なんとなくの感覚というのがあるのかなというふうに思っていますと。
ここからちょっと余談なんですけれども、 松野官房長官はですね、千葉県の木更津市出身で、僕と完全に地元が一緒なわけですね。 僕と同じ木更津高校を卒業した後に早稲田大学に行って、彼は法学部を出ているんですけれども、 木更津高校の創立123年の中でですね、おそらく彼が一番偉大な、最も力を持った人物だと僕は思っています。 なので、僕個人的にもですね、自分の高校と大学同じ先輩がですね、 国のNo.2をやっているというのはとても誇らしかったことだったんですけれども、 本当にこのような形でですね、事実かどうかはまだ分からないんですけれども、 本人が説明責任を果たしているとは僕は全く思えないし、 こういう不明な形でですね、世の中から注目が集まってしまって、 なんと情けない去り際になっているんだというふうに考えると、 ちょっと絶望しているというような感じに、 これは疑惑に対して主観がかなり入ってしまっていますが、 そんなことを思っているような感じでございます。
本当に「政治と金」問題というのはですね、ずっと多分今後もあり続ける問題だと思っていて、 結局一番問題になるのはですね、謝れないということだと思っていますと。かつてのですね、伊達政宗ですね、 彼は確か右目が見えなかったので眼帯をしていたわけですけれども、 ある飲み会の場でですね、他の武将の袴を踏んでしまった時にですね、 伊達政宗が謝罪をしてその場を収め、評価されたのは伊達正宗で、 評価されなかったのは袴を踏んづけられて怒った方の武将なんですけれども、
つまりですね、これは僕何回かブログで書いていますが、 謝罪というのは基本的にはやったことはですね、 チャラにはできないんですけれども、ちょっと許してあげるというような気持ちに人をさせるんですね。 なぜかというと人は謝罪を認めるのがめちゃめちゃ苦手な生き物だと思うので、 そこを認めるというのはある種自分の謝罪を、弱さを認めるということなので、 受け取る人によってはやったことはですね、ちょっとなしにチャラにできることもあるんですけれども、 彼らはですね、それを意固地にしないというところがですね、やっぱりこう、 もちろんそういう人もいるんですけれども、ちょっと情けないところかなと、 同じ人間としてどうなのかなというふうに思っているような感じでも思っております。