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理解すること、痛みを伴うこと

久々にブログを書きます。最近はエアドロハンターとしてセッセと活動しており、文字で考えたりすることも少なかったので、ブログでも書きます。さて、「良い本とは何か?」という良い本を無闇矢鱈に求めている人にとって少し一時停止してこれを読んで欲しいような記事がございました。

理解するのはコストがかかるし、考えるのは不安や孤独を伴うので「分かりやすさ」を求めるし、我々はそれを良い本とすることがあると。しかしこれは既に知っていることの集まりであり、つまり人の言う良い本というのはその人の理解度と相関関係があって、これは良い本だと提案を受けたものはその人と同じ理解度を持っていない可能性もあるので、推薦者の思想や推薦理由を伺う必要があると。

https://note.com/ak1114/n/n6411e519d6fd?sub_rt=share_b

それでは「理解すること」って何でしょう?理解という言葉はそれを操るものによって定義が結構揺れそうです、つまりそこそこのグラデーションがありそうです。例えば「Aさんが私はビットコインについて理解している」といった場合と、「Bさんが私はビットコインについて理解している」といった場合では、同じ理解という言葉を使っていても、その理解度には差がありそうです。例えばここではAさんはビットコインを売買したことがあるだけで、BさんはSatoshiのWPをそこそこ理解しているかもしれません。

例えば「存在と時間」のハイデガーは、理解することを「必ずしもそれを明瞭に説明できるということを意味するわけではなく、そうした説明を必要とするまでもなく、その何かを扱ったり、操ったりすることができることが、何かを理解しているという状態なのです。」といった感じで言うています。

タイトルの後半にも触れますが、理解をすることってのは痛みを伴うと。つまりこれって筋トレみたいなもんですと。筋トレってしっかりやると筋肉痛になるんですよ。(知ってるだろ)それがこう収まると強くなるんですけど、それと理解することってのは似ていると。

でも今ってインスタントコンテンツが流行ってるというか昔からですけど、SNSっていう麻薬が大好きじゃないすか我々って。好みを全て把握しているレコメンドデビルシステムによって、"良い"コンテンツを摂取しまくっているわけですけど、ここに理解もへったくれもないですと。

言いたいことですけど、何かを理解するときに不安になったりストレスを抱えるってのは、極めて良い反応ですよね。労力がかかるのでそれはなるべく避けたいかもですけど、良質なトレーニングだなと思ったんです。

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