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他責思考はなぜ辛いのか

他責思考はなぜ人生を辛くするのかについて考えていこうと思います。今日ですね、バスに2時間半ぐらい乗ってたんですけれども、後ろに40、50代ぐらいのおばさん2人が乗っていました。 バスが結構静かで その後ろのおばさんたちの話し声がよく聞こえたんですけれども、あ、うるさかったと言うわけではないです、何を言っていたかというと 旦那の出身である熊本の独自のルールとか 家庭のこととかいろんなことを2人で話していた感じでした。

僕はその話は結構面白くてですね盗み聞きをしていたんですけれども 終始やっぱり目立っていたことが やっぱり旦那がこうこうしてくれればいいとか あと仕事の話もあって 誰々さんはこうだからとか、誰々さんはこうこうだからみたいな、ちょっと詳細はもう僕もあんまり覚えてないんですけれども 一言でまとめると、他責思考的な発言がかなりあったかなというふうに思っています。

他責思考の反対は何かつまり対義語は何かと考えるとおそらく自責思考という言葉になると思うんですけれども まあ僕が結構大事にしている哲学の一つに自責思考という言葉があって、まあそうですね100人集めたらそのまあ上位1パーセントに入るぐらい、僕は自責思考の意識というのは高い自信が あるんですけれども、

自責思考というのは、身に起こっている全てのことですね 良いことも含めて嫌なことも全ては自分の責任であるとする考え方ですね。一方で他責思考というのは、何かの原因を他人に押し付けるとか 自分の責任を認めないみたいなことなんだろうというふうに思っていますと。

そして、他責思考の何が問題なのかっていうとですね、「他人に嫌なところを押し付ける」みたいなところは浅いと思っていて、僕は結局その人生のハンドルをですね、他人に任せてしまっているっていうことだと思いますと つまり他責思考っていうことは、自分に対して極めて無責任であることだと僕は思っているんですね。

まあ自分の人生なので、自分の好きなように生きればいいし悪いことはやっぱり まあ割とこう自分のせいだと思って自分がこう 解決をしたり、あるいはまあ自分を良くするためにその場から離れたりみたいなことができると思っていて、僕はまあ人生を幸せにしたり 自由度を持たせたり、こうなるべくストレスや摩擦の少ないように生きるためには自責思考っていうのは結構磨きをかける必要があるというふうに思っていますと。

ですがまあ残念なことにですね、おそらくまあ居酒屋なりファミレスなりをこういろんな会話を少し盗み聞きするとですね、人間は悪口が大好きなのでなので、いろんな人がいろんな人の悪口をこう言ってるわけですけれども、それはですね何にも解決しないわけですね、だからあの、永遠にカップ麺食ってるみたいな感覚あると僕は思っているんですけれども、

結局その熊本の話をしていたおばさんたちもですね まあその他責思考である限りその問題は全く解決しないわけですね。

つまり解決策を他人に求めていますと、ですが僕たちはそんなに暇じゃないので他人から提出される問題なんて、なかなか解決できるようにならないし、まあそこの人間関係が特に良くなければ関係ない、みたいな感じだと思いますと。

つまり何が言いたいかというと僕はまあ、他責思考っていうのはまとめると結局 自分のまあなんだろうな、人生における選択権を放棄していることだというふうに思っていて、この志向を抜け出すことっていうのは まあ結構みんな課題かなというふうに思っていますと。

自戒も込めて言いますが、どう考えてもあいつが悪いみたいな状況、つまり理不尽なことっていうのはまああるわけですね。ただまあそれを嘆いていてもその状況というのは変わらなくて 結局その自分の人生を変えられるのは誰なのかっていうと、それは絶対に他人ではなくて 私自身なんだっていうことを強く意識していかないと、色んなことがなかなか厳しいんじゃないかな、というふうに後ろのおばさんの話を聞いていて思った話でございました。

2023/12/08 No.231

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